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■グレー村の風景










  フォンテンブローの森はずれに歴史を残して眠っているような村があります。村を流れるロワン川は今日も村の風景の移り変わりを写しながら静かに流れています。人影はまるでなくただ小鳥のさえずりだけが賑やかに春を告げています。グレGrez-sur-Loing(人口約1300人)の村です。グレ村はパリから高速を南東に一時間半ほど走り、森を抜ける頃に在る、素朴で飾らない村です。12世紀、国境いにもなっていたロワン川、その川に架かる古い橋から見える村全体の風景に、ルイ6世王が残した中世持代の城跡が歴史的存在感を与えています(写真)。しかし、バルビゾン派(ミレー、コロー、テオドール・ルソーなど)に憧れて各国から多くの画家達がフォンテンブローの森にやって来て、この村も賑やかだったなんて今では考えられません。実はこのグレー村こそ日本西洋画の巨匠黒田清輝や浅井忠を育てた村なのです。1902年の手紙で浅井忠は<村はほんの田舎ですけど、景色はなかなか良いです。ロワン川という川が流れていて水も美しい、家もさびている。それに城跡などもあり、特に春はリンゴやナシの花などが咲き乱れて、若草の上には牛が寝ころんでいるというのですから、パリの空気にもまれていると、一層愉快に感ぜられるのです>とグレ村の雰囲気を伝えています。一方、開国日本の政治的リーダーになるべく,法律留学をしていた黒田清輝は画家藤雅三の通訳をきっかけに自らも絵画の道に傾倒してゆきます。1888年、22才の春にこの村を初めて訪れており、やがて作品<読書>が17世紀からのル・サロンの流れを汲む展覧会で入選するという画期的才覚を発揮したのでした。やがて、黒田清輝は<日本近代画の父>と言われるようになる活躍を日本画壇でして行きます。
  ミレーの住んでいたバルビゾンを多くの日本人ツーリストが訪れていた頃から、グレ村のことはよく、今は亡きミレーの家館長リシャール氏によって話されていたのですが、特に美術を専門にするガイド協会会員モアンヌ・前田女史の努力で黒田清輝が住んでいたところが発見されました。そして日本人としては初めて日本人の名が付く通り<黒田清輝通りrue KURODA Seiki>が誕生することになりました。2001年秋に行なわれた命名記念式典には日本大使まで列席して除幕式がありました。実際には、清輝が住んでいた家そのものは残っていませんが、住んでいた所には自画像と日本語記念碑が飾られています(写真)。石畳の敷かれた通りはベルサイユ宮殿のそれを想わせます。
  以来、グレは絵を愛する日本の人たちが、時に、訪れる村になりました。特に、スケッチ旅行のお客様にはひそかな人気です。古い橋、城跡、川端の木々と村の家々がロワン川に映える風景の中には数え切れないモチーフが隠されているからです(写真)。


(協会編集部)







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