TOPページ  >>  フランスの地方・豊かなる大地へ  >>  ブロワ城


■ブロワ城

  現在、人口約5万人余りのロワール河ぞいにあるブロワはかつて歴史的に重要な街でした。

  ロワール河の対岸から小高い丘の上にみえるブロワ城を見上げると、淡いコバルト、ブルーの空を背景にし、統一された銀白色の屋根、壁のほのぼのと黄味を残した白さ、煙突のレンガ色と共に私たちに全体としての統一感のある感動を与えてくれます。

  このブロワ城もロワール渓谷の他の城に漏れず、中世の戦闘の為の城が女性が衣裳を次々と代えていく如く、外観、内観そして歴史が変わっていった代表的な城ではないかとおもいます。

  高台に立つブロワ城は封建時代の戦闘の為の城でした。名家ブロワ伯爵家が所有した後、ブロワ伯爵の衰退と共にフランス王シヤルル六世の弟オルレアン公爵ルイに売却され、王家に最も近いオルレアン家の所有となります。百年戦争のアッザンクールの戦いで敗れ何と25年間も捕虜としてイギリスのロンドン塔に幽閉され1440年フランスに戻った時すでにシヤルルは50才。彼を救ったのは特有なる詩的霊感と詩的才能であっただろうといわれています。

  50才でフランスに戻り14才のマリー・ド・クレーヴ姫と再婚しシヤルルは71才ではじめて父親となります。何と哀しくも華やかな恋と人生ではないでしょうか。

  この二人の間に生まれた息子が<はりねずみの紋章>を持つ国王 ルイ十二世となります。

  百年戦争後、フランスは三代の王(シヤルル八世、ルイ十二世、フランソワ一世)がイタリア遠征を行い大量のイタリアが導入されついにルネッサンスが開花し、1516年には再び生まれる事がないといわれる超天才レオナルド・ダ・ヴィンチがアンボワーズに招待されロワールがフランス・ルネッサンスの中心となっていきます。

  <火をはき、火を食い火を抹殺するサラマンダーの紋章>を持つフランソワ一世はフランス・ルネッサンスの父と呼ばれルーヴルやフォンテーヌブロー、シャンボールなど代表的なルネッサンスの建物を建てました。

  その後アンリ二世の後には王妃カトリーヌ・メヂシスとの間に生まれた三人の息子が国王になりフランソワ二世、シヤルル九世、アンリ三世と続く三王時代にフランスは宗教戦争の渦にまきこまれます。

  アンボワーズの陰謀事件、聖バルテレミーの大量虐殺と続きついにアンリ三世は従兄弟の旧教派の権力者アンリ・ド・ギーズ公爵を1588年12月23日にこのブロワ城で暗殺してしまい、本人も8ヶ月後、旧教派修道士ジャック・クレモンに暗殺されます。

  その後フランス宮廷は少しづつロワールを去り、ロワール渓谷の歴史も静かに幕を閉じていくことになります。

  しかし、最後の死直前の白鳥の叫びの如く、この城に古典様式が付け加えられます。

  太陽王ルイ十四世と叔父オルレアン公爵ガストンの権力闘争で追放されたガストンが古典様式を追加しブロワ城に一層の美と魅力を加えていきます。

  まさに、ブロワ城は13世紀から17世紀までの建築様式がしっかり残されていてこの城の歴史的な重要性、またフランスの重要な歴史を私達に語りかけてくる城だと言えるでしょう。


輿石 由起子
>>プロフィール















本サイトはフランス日本語ガイド通訳協会(AGIJ)の公式サイトです。
紹介頂く分にはリンクフリーですが、個々の記事、写真等の無断転載はお断りします。