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■リヨン『旧市街』

  町はソーヌ川とローヌ川によって発展を続けました。
  紀元前43年にローマ帝国の属国の首都となり、ルグドゥヌムからリヨンになってゆく3〜4世紀頃には人々は高台を見捨てて、今の旧市街に住み始めた。 中世からルネッサンス期にはソーヌ川の右岸に町が出来17世紀18世紀には二つの川に間が発展していく。そして19世紀にはローヌ川の左岸へと広がっていった。 それぞれの時代の建築が残され、散策が楽しい町である。

  特に旧市街は、サンジャン大聖堂から、サンポール教会にかけて『VIEUX LYON』と呼ばれてサンゴ色の鮮やかなルネッサンス時代の建物が修復、保存されている。この旧市街の中の鰻の寝床の様な細長い空間が16世紀にはヨーロッパ経済の重要な鍵を握る場所であったとは想像しにくいが、地元の大富豪もイタリアの大富豪も殆んど、この周辺に邸宅を構えていたという。正にリヨンの富はこの一角に集中していたことになる。

  PLACE DE CHANGE (両替広場)は中世の時代、両替台広場と呼ばれユダヤ人、ロンバルディア人が青空の下でテーブルを置き秤を使って両替を営んでいた。
  国王の許可を得てから、年に4回の大市(現在の国際見本市)が開かれ従来の支配階級だった公証人や代許人に代わって商人階級が台頭してくる。
現在、歴史マリオネット博物館になっているガダーニュ館も亡命フィレンチェの子孫のガターニュが商才で財をなし(ガターニュみたいな金持ち)という決まり文句まで生まれた。

  両替広場からサンジャン通りを下りPLACE DE BALEINE(クジラ広場)を過ぎて左側29番地に、ルヴィスト家の館がある。
  先祖は網具屋で15世紀頃から教育を武器に出世、一族がパリやオルレアンの大学で法律を修め、法曹会の重鎮となる。
  パリのカルチィエ ラタンにクリューニイ中世美術館があり、そこに(一角獣と貴婦人)のタピストリーが掛けられている中に、赤地に青の、たすき掛け、上弦の三日月が三つという紋章が描かれている。これは ルヴィスト家の為に制作されたものだった。

  リヨンは絹織物でも有名な町で、一説には布地を運び出す時に濡れない様に建物の間に抜け道が作られ、現在トラブールという名所になっている。 後にこれが第二次世界大戦のときレジスタンスの隠れ処になったリ、現在ではドロボーの逃げ道になっているという。

  二本の川がY字型に交わる所に絹織物と出版業が発達する。リヨンはフランスで最初の活版印刷が始まった所でもある。
  旧市街地の主となるサンジャン大聖堂も、この界隈を見守りその歴史は12世紀に始まり13世紀にサンルイの亡骸が一時安置され、16世紀の宗教改革で建物は痛められたが1600年にはヘンリー四世とマリードメジシスの婚礼が執り行なわれた。
  信仰心の厚いリヨンの人々によって、ほぼ満席になる日曜日のミサ、その時人間の歴史の営みが連綿として続いていく様を肌で感じるのではないだろうか。


富士本 優子
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