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■オロロン・サント・マリー



  昔はオロロンとサントマリーという2つの町が19世紀にひとつになりそれぞれの地区にロマネスクの教会を持つ。高台のオロロンにはサントクロワ教会、サントマリーには聖堂。サントクロワ教会は11世紀に建設が始まり、クロワゼに八角形のクーポールを持ち8本のネルビュールが星を形づくって作られている。スペインーアラブ文化の影響を見せ興味深かった。ただ柱頭彫刻が高すぎて見ずらかったのが残念。まるでその埋め合わせのようにその後訪れたサントマリー聖堂の入り口の彫刻が私たちを堪能させてくれた。



  サントマリーの聖堂は、12〜13世紀にかけて建設されたが、落雷で崩壊した後陣は14世紀のゴシック様式で再建。外観は堅固な要塞の雰囲気を持つ。宗教戦争や革命で被害を受けたが奇跡的に1120〜1140年にかけて作られた正面の彫刻はほとんど完全な形で今日に伝わっている。これは14世紀につくられた鐘楼を支えるポーチが扉を保護したとともに、ピレネー産の大理石の質の良さをあげることができる。2つのアトリエが働いており、第一のアトリエはタンパンのキリスト降下。第二のアトリエが殆んどの残りを、始めの構想にそってしあげている。



  2つのブッシュールの外側は黙示録に出てくる長老たち、この彫刻はその後モワサックやポワチィエの彫刻に影響を与えているという。内側は地上界を象徴し、宴の準備をする人々の姿がある。最後の審判で選ばれた人々の天の宴の準備とも、カナの婚礼の宴を暗示するとも言われるがはっきりしていない。いずれにしても、このベアルネ地方の最高の食事の準備をする人々が、プロポーション的にはアンバランスだが生き生きと描かれていて見ていて飽きない。猪狩り、豚を屠殺する人、その脇では豚をさばく為のナイフを研ぐ人。そしてワイン作り、タガ作りの人物は頭を傾け輪をしっかりと絞り込んでいる。その隣は等身大の鮭を掴まえ運んでいる。昔この町では、毎日1000〜1500匹の鮭が捕れたという。それを輪切りにする人の次は、大鍋からできあがった鮭を引き上げている。皿には既に飾りつけの鮭の頭が置かれている。パン係りは自分の頭より大きなパンをアゴと肩で支えこそぐように切っている。今でも田舎のおじいさんが自分のナイフで切るように。アヒルを準備し、チーズを型からはずし、卵や果実を運ぶ。これらの人々が武骨で真剣な顔と対象的に、かわいい!と言いたくなるしぐさで描かれている。



  これを彫った人は人生を愛したボンヴィヴァンだったろうと資料にあったがまさに料理の臭いが漂ってきそうだ。後はただ一言ボンナペティ!私達もこの後レストランに昼食に向かった、ただこれ程豪華な食事ではなかったが…


ジャクラン 山田 洋子



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