TOPページ>>フランスの地方・豊かなる大地へ>>モン・サン・ミッシェル勉強会の報告


■モン・サン・ミッシェル勉強会の報告



  10月3日モン・サン・ミッシェルにて、ガイド協会主催の勉強会がありました。講師は歴史学者でモンの文化財管理局長ニコラ・シモネ氏。従ってこれ以上のエクスパートによる案内は望み得ないという見学になりました。早朝6時30分にポルト・マイヨに集合し到着が予定通りの11時。午前中の見学は西テラスから教会堂内部に入り、総括的な説明やら質疑応答があった後に、後陣の控え壁に組み込まれている「レースの階段」に出ました。


               
  お天気も良く、聞きしに勝る眺望でした。その後廻り階段を急降下しプレ・ロマネスクからロマネスクへと辿る事になりました。何時もは禁断の場所を訪ねる喜びの中で「地下のノートルダム聖堂」がローマ帝国時代の影響を残す二重アーチの壁面、熱狂的な巡礼者が盗みを働かないようにと高くした聖遺物置場、奥の開口部からはオベール司教の手になる8世紀の石組みを目前にするなど、大きなインパクトでした。



  昼食は同席して頂いたシモネ氏によると中世期の巡礼食だったというムール貝で済まし、45分後には中世期の巡礼者入り口だったアキロン部屋から僧院内へとドロップ ダウンして行きました。地下牢獄と言われる部分ではカーブ(酒・食料収納庫)の役目の方が大きかったらしい暗い穴蔵に入ったり、モンの絶頂期の意外に質素な「ロベール・ド・トリ二イ僧院長の居室群」、裁判採決の為の「ベルシェーズ」等の見学となりました。その後周り階段を上昇し「ラ・メルヴェイユ」へ。しかし既に約束の15時半を迎え、氏の配慮でランデブーの変更と1時間延長が無かったなら今回最大のハップニングは起こらなかったことになります。クロイスター(内庭回廊)北のドラゴンが彫られているエコワンソンの前で、我々は聞き慣れない数字を耳にしました。



  ドラゴンは原罪を象徴し、ドラゴンの柱から60本目の柱と60本目の柱で天国のエルサレムに到達する。場所が場所だけに天から突然降って湧いたような60本の柱。このダ・ヴィンチ・コードめいた数字が、帰りのバスの中で話題になりました。帰宅後もインターネットなどの交信があり、皆でようやく得た回答を下に報告しますので興味のある方は参照なさって下さい。
  最後は「スクリプトリウム」(修道士の仕事室)で解散になりましたが、この部屋で写本がなされた事は一度も無く13世紀は既に町の発生と伴に大学が各所に誕生し、写本は町の専門家の手に成った。従ってスクリプトリウムの本当の用途は、豊かで土地持ちのモンの僧たちのサロンだったということでした。何か何時も見慣れているはずのモン・サンミッシェルが新鮮で、目から鱗の落ちるような一日になりました。87ユーロの参加費用は現在の悪状況から考えると可成の額であったにも関わらず、参加者20人が深い満足と快い疲労の中で無事に解散したことを報告して置きます。


60本と60本の柱の謎

  シモネ氏からクロイスターで受けた図像説明は、西側と北側だけでした。しかも啓示のようなコメントでしたから、参加したメンバーの貴重な意見とマーク・デスヌー著「モン・サンミッシェル伝説の歴史」の中のクロイスターの章を参照し補足しました。この文章の中にはニコラ・ シモネの説によるという但し書きが各所に見られ、図像解読の為にシモネ氏の果たした役目が大きかった事が解ります。
  庭園を囲む柱の総数は外側が70本、内側が67本で総計137本。この内133本は、高くなっているソークルの上に三脚足のスタイルで交互に並びます。しかし南に位置する「足洗い台」の前の4本の柱は2本並列で並び、ソークルの無い4本の柱の間から扉を潜る様にして、庭園内部に入る事が出来ます。全体の柱は円形を形成しています。アルファでありオメガである円形に起点は無いと考えることも出来ますが、太陽の昇る方向から時計の針の方向に進み、北は旧約で南は新約と言った図像学上の約束が有ります。



  クロイスターの柱上のフリーズやエコワンソンには、変化に豊んだ植物がデザインされ、適当な間隔で人物や動物等が配置されています。これを如何に読むかは、革命時の破壊やその後の修復の問題もあり、学者たちの間でも意見が分かれるようです。私が読んだデスヌー氏の解説では東をオリジンとし、東から解読を初めていました。しかしシモネ氏は、今回明らかに解読の起点を北側に置きました。そして北廊の中央部に彫られているぶどうを食するドラゴンに起点を置く時、キリスト教世界の図像化が完結していくように思われます。



  ドラゴンは原罪を意味します。普通はイブがアダムに禁断のりんごを与える場面であるのに、僧院では男女の裸体を避けた結果このような図柄になったようです。次に東の僧院食堂入り口の前にあるのが十字架上のキリストとぶどうを摘む青年。青年は19世紀に行われた修復以前は年を取った男だった、人類最初のぶどう栽培業者のノエだそうです。ノエと植物装飾の中に隠れる奇怪な動物などが旧約世界を構成しながら4本の並列した扉の位置まで続き、庭園内部へと入って行く事が出来ます。中世の僧たちに取って地と天の間の空中庭園は、天国のエルサレムの象徴でした。そして原罪を象徴するドラゴンの柱から数えて、庭園に入る柱まで実に60本目の柱になります。
  再び扉を出て3本目の柱のエコワンソンに彫られているのが、革命時代の破損の激しい尊厳の聖母子像。キリストの生誕を迎えた新約の世界を南面が展開しています。





  西側の右から6本目の柱に僧院創立者になるオベール司教。更に3本先の柱に荘厳のキリストとアッシジの聖フランシスコが並びます。聖フランシスコはクロイスターが建設された1228年に列聖されていますから、西側はモンの歴史とアクチュアリティーがテーマになっています。愈々北に曲がった直ぐ角のフリーズに冠をかぶる黙示録のドラゴン。隣のエコワンソンには神秘の子羊が居ます。羊は贖罪のキリストを象徴し、その上に天国のエルサレムが彫刻されています。先程の庭園を出た時から数えて丁度60本目の柱が再び天国のエルサレムと言う事になります。



  旧約時代の天国のエルサレムまで60本+新約の天国のエルサレムまで60本=120本。6はしばしば不完全を象徴するようですが、12は天国の鍵のシンボルです。柱の総数は137本ですから、137ー120=17。残りの1と7が再び原罪を象徴するドラゴンの柱を繋ぎ永遠のサークル1、3、7を作り上げています。1=世界、3=三位一体の神、7=天地創造。原罪とキリスト再臨が完結して行く永遠のサークルがクロイスターのプログラムのようです。そしてこの時代の図像学上に偶然ということは有り得ないという、シモネ氏の印象的な言葉を付け加えて置きたいと思います。



嶋田=タエロン 昌子
>>プロフィール




本サイトはフランス日本語ガイド通訳協会(AGIJ)の公式サイトです。
紹介頂く分にはリンクフリーですが、個々の記事、写真等の無断転載はお断りします。