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■セーヌ河の源泉 (SOURCE DE LA SEINE)

フランスを訪れると一度は足を向けたくなるブルゴーニュ地方。 ロマネコンチや シャンベルタン等・・・の銘譲畑がつらなるワイン街道やエスカルゴをはじめとする数々の舌包みを打つグルメの地、また、中世にその権威と豪奢を誇ったクリュニー修道院やそれに異議を唱えたシトー派の清貧さを求める簡素な修道院などの面影、またきらびやかな宮廷文化が開花したブルゴーニュ公の都ディジョンやボーヌ等と魅力あふれる歴史にも満喫します。

そしてこのブルゴーニュ地方、ディジョンから北東約40kmの地点の標高446mのラングル台地の一角にセーヌ河の源泉があります。特に景勝地という訳でもなく鬱蒼とした木々の覆うこの地に、さらさらとひとすじの地下水が湧き出ています。


セーヌ川のニンフ

この地は紀元前100年頃、ケルト系ガリヤ人たちが“泉の女神セクアナ”( SEQUANA )を祭る聖所として崇めたと言われ、ガロ、ローマ時代の神殿跡も発掘されました。

中世にも治癒や奇跡を願う巡礼者が後を絶たなかったと言われ、古代から人々は数々の奉納板(EX-VOTO)や小舟に乗ったセクアナ神や牧神などのブロンズ像、貨幣そのほか多くのものを奉納していったといわれます。これらの一部は現在ディジョンの考古学博物館(サンベニーニュ旧修道院内)で見ることができます。


セーヌの源泉・パリ市所有

このセーヌ河の源泉は1864年よりパリ市の所有となっており、当時つくられた人口の洞窟と、余りにも装飾的すぎる “セーヌのニンフ(水の精)”の彫刻とがこの地の神秘性とかなりアンバランスに思えます。

しかしながらこの溢れ出る源水に手を浸す時、何かが身体にみなぎるような気分になってくるのも気のせいでしょうか?

ところでフランス第2番目の流れを持つ776kmのセーヌ河には、河口のモダンで広大なノルマンディー橋まで約257本の橋がかかっていますが、(パリには37本)まず第一番目の橋がこの源泉の1970年にポール.ラマルシュ氏によって造られた橋です。ほんの数歩でまたいでしまうような小さな橋で、ラマルシュ夫人は愛情をこめて“ロバの背中”と呼んでいます。 その足元をセーヌがちょろちょろと流れています。


セーヌ川最初の橋

ポール.ラマルシュ氏(本名ギュスターブ.ラマルシュ)は元々パリ市から派遣されてセーヌの源泉の管理者としてこの地に赴き、以来101歳で亡くなるまでこの地を愛し、熱意をもって保存に力をこめてきました。2002年12月からこの橋はポール.ラマルシュ橋と呼ばれています。

“ 海神ネプチューンはある日美しいガリヤのニンフ、セクアナに恋してしまい、彼女を誘惑しようと追いかける。  セクアナはひたすら逃げ、いつしかブルゴーニュの地にたどりつく。恋に燃えたネプチューンが今まさに追いつこうとする矢先、セクアナは父親のバッカスや親しいデメテルに救いを求めると、彼女の姿は突然、彼女の瞳のエメラルド色の美しい流れに変身したという。こうしてセーヌはその支流と共に生まれた・・・“


アクセス

パリからディジョンに向けて高速6号線を途中Bierre-les-Semurで出て、Semur-en-Auxoisへ、その後Venarey-les-LaumesからDarceyへ向かい、Source-Seine村へ。(2009年1月1日からSaint-Germain-Source-Seine村と Blessey村が合併してスルスセーヌ村とよばれている)。

このあたりには美しい村々が点在しています。 また紀元前52年、若きガリヤの首領ベルサンジェトリクスとシーザーの対決で有名なアレジアの戦いの地もすぐ近くです。

パリから東南約300km 。


柿本ブロンド節子
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