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■ピカルディー地方の中世の町「ラン・LAON」

ランの町は、地球が形成されて行く天地創造の時代・第3期造山時代に形成された小高い丘の上にある。パリから国道2号線に乗ると比較的平坦なピカルディー地方にあって、遠くから中世期の城塞都市の趣きで姿を現す。さぞかし歴史の動乱を生きた町かと容易に想像出来る姿なのだ。


アルドンの門

ランの町が初めて歴史上で重要な役目を担うのは、8世紀に乱立した豪族の中から台頭するカロリンガ家の息子ピピンの、言わば“気まぐれ”のおかげだった。732年にポワチエの戦いで回教徒を追放するという快挙に出たカール.マルテルの御曹司が、地元の小貴族の娘に熱烈な恋をしてしまったのだ。この時26歳のピピンは既婚ではあったが、正妻とは“穏やかに”離婚を果たし15歳のベルトを妻とする。そして、数年後にはカロリンガ朝の初代王と初代王妃となるのだ。二人の愛の結晶として誕生するのが西欧世界が常に理想像としたシャルルマーニュ大帝になるのだがこの世紀のカップルの威名を、歴史は「短躯王」と「大足ベルト」と名付けている。ノミの夫婦が金の卵を生んだ感じで一向に尊敬の 念が薄いのも、どこかマンガチックで微笑ましいではないか…。



ルイ7世と王妃アデライートの祈願によりフィリップ2世誕生

しかしカロリンガ朝末期になると、無能な王たちが次々と擁立することになる。その宮宰の役を務めながら頭角を現すのが、カペー家だった。987年の創立14世紀まで、信仰深く頭脳にも秀でた王たちが次々と登場する中でも、3指の中に入るフィリップ2世(治世1180−1223)と伴に、ランの町が再び脚光を浴びる。領土拡張を虎視眈々と狙う王はフランドル伯家やプランタジェネ家の侵略に備え、町を強固な城壁で固め、北フランス随一の要害とする。そしてコミューヌ都市として独立を果たし、公爵の称号を持つ司教たちのもとでゴシック初期のノートルダム教会が建設されるのだ。クロワッサン型に形成されて行く町の中央に王冠を抱いた如くひときわ目立つのがランのノートルダム大聖堂である。




ラン大聖堂は1160年に着工され70年後には完成を見る。毛織り物や葡萄酒等の仲介業者たちで繁栄した町の経済力、そして伝統に支えられたラン神学校の頭脳、この2つのタイアップがあってこそ、このように短期間で完璧な建設工事を可能としたのだろう。一見してファサードの二つの塔のインパクトが強いせいか、まず男性的な「力」に圧倒される思いがするのだが、正面から内部に入り南の扉から抜ける頃には「力」は決して鋭角的だけに終わらず、繊細で絶妙なバランス感覚の中に完結した空間を作り上げているのに驚く。




この聖堂の姿に、ピピンを愛しシャルルマーニュという歴史上の巨星を生んだ大足ベルトの堅実な女性の姿を重ねて見たい気持ちもするのだ。そんな埒の無い思いで南北の塔を見上げると小円柱の間から、牛たちが彫刻の姿で見下ろしている。工事中の困難な石運びに活躍した牛たちに敬意を表し、職人たちが塔の最上部に載せた物らしい…。




注文主の要求とは全く関係の無い「遊び」が、ゴシック建築を任された側の職人たちにしばしば許されていた事は、この牛たちの例でも解る。しかし1140年代にパリ近郊のサンドニ大聖堂の内陣に始まるゴシック様式は、ギリシャ哲学とキリスト教の融合から誕生するスコラ哲学のバックボーンがあり、その構築上には如何なる“偶然?も有り得ないと言われる。



哲学の女神

ラン聖堂も厳密な論理のもとに1、3、7のリズムによって構成され、光は神であると確信した人たちによる空間が黄金分割されて居ると言う。




その様な微妙かつ高尚な事を納得するには、しばしの時間と余裕が必要ではないか。カテドラルの前のカフェにでも座って、見事なファサードを見上げながらのんびりと昼食にでもしよう。ランはアーティチョークを始め農産物の宝庫でもあるのだから…。




休憩の後は、旧施療院をリニューアルした観光事務所で発行しているイラスト地図を手に入れ、東西2キロの町の散歩が楽しい。堅牢な城壁から下界を見下ろしながら、ピピンとベルトの出会いを思ったり、古代のベルサイユ宮殿に相当するアルドン門近辺の跡地を訪ねるのも楽しい。東端の廃墟には、シトー派の影響を受けピカルディー地方が生んだプレモントゥレ派の僧院も見学できる。美術好きなら、旧司教館を利用したラン美術館で17世紀の農民画家で土地っ子のル・ナン兄弟の作品や14世紀のランを生涯愛した医者・ギヨーム・ド・アルシ二ーの死と再生との間のtransiと呼ぶ墓像彫刻を見に行くのも良い。この町は半日コースより一日ゆっくりしたくなる奥行きの深い町の一なのだ。




鉄道によるアクセスはパリ北駅からTER1時間30分弱。駅前から登山電車で旧市内へ。
観光事務所:カテドラル右横9:30ー18:30(冬17:30閖)昼休12:30ー14:30
ランの南に位置するChâteau de Courcelleは2011年のミシュランの一つ星シャトー・ホテル。17世紀の広い庭を持つ城にルッソーやコクトーなどの文人が憩いの時を過ごしている。



島田ータエロン昌子 
>>プロフィール

この記事は日本人会新聞の連載「旅三昧・奥深いフランスFRANCE PROFONDE」に記載されたものにイメージ写真を足したものです。





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