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■モン・サン・ミッシェルの砂浜

 湾には3本の川が流れ込み、とくにクスノン川が頻繁にその流れを大きく変え、その周りに<動く砂>ができて危険な為、散策は砂浜専門の特別ガイドと一緒に行います。
 
砂浜には、モン・サン・ミッシェルに向かって左手、西側から行きます。右手の東側から行きますと地面が泥状になっていて滑り やすく危険です。
この地の泥は、エステでパックにも使われるそうです。肌に良さそうで、顔にも塗りたくなってしまいます。フランスの国旗が掲揚されている方に向かって行きますと、足洗い場が見えてきます。泥パックですべすべになった足を洗う場所です
 
 そのまま進んで行きますと、島の西側を守る為に16世紀に建造されたガブリエル要塞が見えてきます。 
その横の遊泳禁止マークが付いている所から下に降りて行きますと、その昔ショセー群島から切り出された石を荷下しした場所に出ます。
 それではここから裸足になって砂浜散策に出かけましょう。川を渡る時に膝上まで水がきますので、ショートパンツがお薦めです。

裏側に回りますといつものモン・サン・ミッシェルとは違う景色が見えてきます。
島の北側には15世紀につくられた聖オーベール礼拝堂がまず見えます。波がくる時には無理ですが、干潮の時には横の階段から登って行って、聖母子像が置かれている礼拝堂の内部を覗くことができます。礼拝堂の上には聖オーベールの像が立っています。
アヴァランシュの司教が聖ミッシェルを夢枕に見てここに教会をつくる決心をし、岩山で祈っていたら水が湧いている場所を見つけたという言い伝えの場所が、写真右の小さな祠です。この聖オーベールの泉は、13世紀には要塞化され、15世紀迄、修道院、村人の大切な貯水槽だったそうです。 
 
 
 遠くにはトンブレーヌ島が見えてきます。モン・サン・ミッシェルからこの島まで約3キロ、クスノン川を渡らないと行けません。島には11世紀の頃から修道士が住むよう になり、1137年にはモン・サン・ミッシェルの修道院長が小修道院を建造しています。
百年戦争の時にはイギリス側が占領し、島全体を要塞化しました。
その時の跡が今も残っています。
17世紀にはニコラ・フーケの所領になっていたのですが、1664年に国王ルイ十四世の命令で島の要塞が全て破壊され、今日の姿となりました。
1933年に国が買い取り、現在は鳥類学の為の保護地となり、大カモメの生息地になっています。
 
 ではハイライトの<動く砂>体験を始めましょう。
皆でサンバを踊るように砂の上で足踏みをします。そうすると足がずるずると砂に引き込まれるように入っていきます。
 
 
 この<動く砂>の上は歩けないわけではないですが、やや危険な所です。
振動と重みが泥の粘着性を破壊して、地下に貯まった水が空気と一緒に出て来る時表面の砂が埋没し、同時に上にいる人が泥の中にはまり込む状態です。
 
もっとも危険なのは、<動く砂>が川の中にあるときです。そこにじっとしていると身体が底に引っ張られ、その上に水があるわけですから、そこから抜け出せなくなります。
それでガイドは何時も、「一カ所に留まらないで、歩いて下さい」と言ってます。
川渡りの時には、まずガイドが危険がないか渡ってみてから皆で渡ります。

 空気と水が出てしまうと、粘着質の泥が身体にますますまとわりついて、まるでセメントで固まってしまうような感じで、砂泥から出にくくなります。
それでこの写真のように、まずは片足を円を書くように動かしながら出し、その足の膝を折ってもう片方の足を出します。
ガイドさんはうまく抜け出しましたが、かなりテクニックが必要なようです。

 
 
“ビックリ体験”した後は、羊の気持ちになって<プレ・サレ>草原に連れて出してもらいます。
私達の“餌”は写真の太い方の草<サリ・コーン>でした。少々塩気が効いていて、かなり美味しいのです! 本土側のスーパーでも売っています。一年草で、冬には枯れてしまいます。
お隣で羊が食べていたのは、サリ・コーンの周りに生えている細長い草でした。
湾内のこの草を食べて成長する羊だけが<プレ・サレ>と呼ばれ、AOC(生産地特定銘柄)が付き、値段も他の羊より高く、どこのレストランでも食べられるわけではありません。

、、、とこのようにモン・サン・ミッシェルは見所いっぱいの魅力的なユネスコ世界遺産ですが、砂浜散策は、かならず干潮の時に、砂浜専門のガイド付きでお出かけ下さい。

 

松下光子 
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